LIBERATEのブログ

思考の足跡

テレワークの難点:さぼりはなぜ起きるか等

テレワークとはなにか

「テレワーク」という言葉がよく聞かれるようになった。これは、一方でコロナウイルスの影響で外出自粛を要請されているが、他方で、それでも働かなくてはならないという状況を鑑みての対応策である。つまり、家で働こうというものだ。

 

これにより通勤時間が省ける、遠方の人との仕事が容易になるなど、メリットは当然あるだろう。しかし、実はその裏で、テレワークの困難ともいうべき事象が発生しているようにも思われるのである。

 

テレワークの難点を網羅的に扱えるわけではないが、以下では、テレワークの困難を分析したいと思う。

 

難点① 家のオフィス化

テレワークが盛んになる前は、当然特定の場所にいることが仕事をしていることの一要件だったわけである。それがテレワークによって、PCさえあれば、場所を問われないことになった。テレワークが導入されたのが、仕事による外出を極力させないためであることを考えたとき、通常テレワークをする場所は自宅ということになる。つまり、家がオフィスになるということだ。

 

しかし、テレワークをしている者全員が全員、仕事大好き人間ではないということは忘れてはならない事実である。今までは、通勤途中でなされるだろう儀礼的行為もとい習慣によって、心を切り替えることができたが、テレワークが導入されたらどうだろう。当然気持ちの切り替えは難しくなる。

 

家が広く、一つの部屋を仕事部屋に割り当てられ、仕事用のスマホ・アイフォン・PCを用意できるならば、この問題はある程度緩和されよう。つまり、仕事をする空間、仕事関係の道具、といった具合に隔離すればよい。

 

問題は、そのような環境を用意できない場合である。プライベートのなかにパブリックが存在するというその歪さは、単なるお気持ちの問題ではない。それは次にあげる仕事の能率の問題にかかわる。

 

難点② 仕事の能率の低下

 気持ちが切り替わらない、ないし切り替えにくいということは仕事の単位時間あたりの成果、すなわち能率に直に負の影響を与える。趣味や休息をとる場所である家で、はたして仕事など、うまくできようか。よほどの仕事人間でなければ無理であるように思われる。

 

話は若干それるが、この点、いわゆるyoutuberは、アイデアの枯渇と戦うために、常にどんな動画をあげるかを考えるため、気持ちの切り替え問題が常につきまとう。Youtuberのアイデアの枯渇問題については別で書いたので、そちらを参照してほしい。

 

 

liberate.hatenablog.com

 

また、同僚や上司といった監視の目がないことも、かなり利いてくるだろう。ある程度のノルマさえ達成すればそれでよし、ということで、それ以上の成果は見込めないかもしれない。特定の場所に通勤し、その職場で仕事をしてるフリをして、さぼりを働いている人間からすれば、テレワークは楽するための手段でしかないだろう。

 

では、監視の目がありさえすればよいのか、と言えばそうでもない。これは次の問題にかかわる。

 

難点③ 社畜から「家畜」へ

まずは、以下の記事を挙げておこう。

 

www3.nhk.or.jp

 

いわゆる社畜は、会社に働きづめで、残業ばかりし、休みもろくにとれないような働き方を揶揄した言葉である。過労死問題もこの文脈で論じられていたのは記憶に新しい。

 

さて、テレワークはこの社畜にどのような影響を与えるだろうか。

 

答えは「社畜は家畜になる」である。家畜というと、畜産農家の情景が頭に浮かぶが、要は、会社というオーナーが社員という家畜を放牧しているということである。

 

普段会社で行われているような、社員同士の監視の目は、テレワークでも同様に行われているようである。悪いとは言わない。確かに、監視の目がないと怠ける私のような人間もいる。会社側の都合を考えるなら、利用しない手はない。

 

しかし、その監視先は、プライベート空間であることも考慮されるべきである。「見える化」「透明性 transparency」の確保が常によいことであるとは限らない。上がってきた成果物でもって、一定程度の仕事をこなしたとどうして認定しないのか。社員をなぜ信用しないのか。その疑いの目線がかえって自分の首をしめてはいまいか。監視や疑いの目線を向ける前に考えるべきである。(実は、このあたり、成果物ベースで報酬体系を組み立てる頭脳労働と、労働時間ベースで報酬体系を組み立てる肉体労働とで、思うところがあるので、あとで記事にするかも)

 

まとめ

本記事では、テレワークの難点を三つほどあげたが、当然テレワークには良いところもある。間違いなくこれからの働き方に関する考え方のひとつのモデルとなる(なっている)ので、われわれはテレワークとうまく付き合っていく方法を模索すべきである。